『ぼっち・ざ・ろっく!』 原作1~5巻までのセリフ・描写考察【ぼざろ】

はじめに

・本記事は2022年11月26日に刊行された『ぼっち・ざ・ろっく!』5巻までのネタバレを含みます。

・作中で扱われる専門用語・パロディネタ解説や裏設定を探す趣旨の記事ではございませんのであしからず。

ちょっとながめの導入

本題に移る前に、5巻までのぼっちこと「後藤ひとり」とはどんなキャラクターなのか・状況下に置かれているのか、それらを今一度振り返って言語化を済ませておくのが導入部の狙いとなっています。

それなりのボリュームがあるため、とりあえず本題について先んじて述べておきますと

  • ギターヒーロー」とはぼっちの理想像であり、敵である。
  • 本作の核となる概念、"キラキラ"とは一体何なのか。

これらを作中のセリフを引用しつつ、明示していくことが本題になります。

また『ぼざろ』の生みの親・はまじあき氏は本作のコンセプトについて次のように言及しています。

描き始めた頃は陰キャネタのギャグが中心だったのですが、幸いにも支持をいただき、話が続くことになりました。試行錯誤した結果、ストーリー漫画的な成長物語になりました。私自身、結束バンドやキャラクターたちの成長を楽しみにしながら、漫画を描いています。(作者様のインタビューより抜粋)

realsound.jp

下線部ってどの辺?というのを明確にした上で掘り下げていって、『ぼざろ』の成長物語的な部分をより楽しんでもらうことが本記事の目的となっています。

というわけで早速本作の主人公・後藤ひとりにフォーカスしていきましょうか。

フロイト心理学的な観点から見たぼっち

ぼっちの特徴はかの有名なS・フロイトさんが提唱した『防衛機制』の、中でも負に分類されるパターンを綺麗に網羅している逆V優等生。

ですので、これに基づいて傷つきながらも懸命に社会に介入していくぼっちの戦績を振り返っていきましょう。

  • 身体化(ストレス耐性0なので刺激を与えられたり感知すると、身体が別の生物に変化します。 人間をやめるぞ!
    • ツチノコ (1巻 下北沢でアー写撮ろう!の回)
    • タコ (1巻 STARRYオーディション後)
    • タツムリ (2巻 ぽいずんやみ登場前)
    • カニ (3巻 祝ロッキンジャパン出演?回)...etc.
  • 逃避癖(一般的に分類される4つのケースを全てコンプリートしています。)
    • 逃避:じめじめとした暗い場所に隠れる(2巻 秀華高校文化祭)
    • 現実への逃避:ギターを弾く又は弾き語り(1巻 喜多ちゃんとの出会い バンボッギッ)
    • 空想への逃避ギターヒーロー(1巻 冒頭)
    • 病気への逃避:あの手この手で熱を出そうともがく(1巻 バイト2日目)
  • 同一視(1巻 初登校)
    • 高校デビューに失敗し、公園にいたリーマンに自己を重ねようとするがこれも失敗。ダメージはさらに加速した。
  • 退行(1巻 冒頭)

などなど、枚挙に暇がない。どうする家康信玄

しかし、ぼっちの性格は欠点だけではありません。むしろ欠点こそが長所といえる数々の強みを持っています。

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  • 非常に繊細なのでその分感受性が鋭く、他者に共感する能力に優れる。(1巻 演奏入りのギターソロ)
  • 素直なので吸収が早い。(1巻 新宿のやべーやつ廣井さんとのゲリラライブ)
  • 虹夏からは周りをよく見ているという他己評価を貰っている。(3巻 リョウ先輩宅に行く回)

こんなところでしょうか。

要は打たれ弱くて心配性でものすごい健気な良い子が主人公ってことです。ボッチは可愛いですね。

しかし、そんなぼっちにとってはフロイト心理学よりもナチュラルに鬼畜風当たりの強いのが続いて登場する学説。お次はこれを援用しつつ、作品の骨子を抑えていきたいと思います。

アドラー心理学的な観点から見たぼっち

心理学者のA・アドラーさんはこんなことを言っていました。

「社会をやめろ!家族をやめろ!人間関係をやめろ!」

……

「自己を確立したいのなら、承認欲求を捨てて共同体感覚(自己受容他者信頼他者貢献)を持ちなさい」と。

これをぼっち向けに変換し直すと

  • コミュ障陰キャを直してお友達を作って、そしてギタリストとして社会進出(自己実現)したいのなら次のことをする必要があります。
    • 承認欲求を肥大化させるネット活動(ギターヒーロー)は止めて、コミュ障陰キャは現実世界で他者と触れ合っていく中(結束バンド)で直してね(自己受容)
    • 対人関係は狭くて浅い関係なら自身を曝け出すことも傷つくことも最小限で済むけど、広く深い関係(ヨコのつながり)を築いてね(他者信頼)
    • そうすると「私はここにいていいんだ」という実感を得て、自己実現することができるよ(他者貢献)

逆説的に考えると、結束バンドでの活動を続けてヨコのつながりを築き、他者貢献を得られたのなら、承認欲求を得るためにネットで視聴者の顔色ばかり窺う人生を切り捨てられるということですね。

作者様も次のように言及しています。

SNSでは特技を披露してヒーローになれるけれど、現実社会とのギャップに悩んでいる人もいると思うんです。 (作者様のインタビューより抜粋)

また、作中においてはリョウがこの価値観についてシンプルにこう言い表しています。

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このように、本作はアドラー心理学的な観点をもばっちり網羅しているのでした。しかもコミカルな4コマに落とし込んでいるのでとてもわかりやすいのも◎

『嫌われる勇気』より『ぼざろ』を読め!

さておき、ここまででぼっちの人物像の精緻化、それから『ぼざろ』には日常系の側面を保ちつつ教養小説としての性質がある、ということを説明できたかと思います。

これでぼざろどの場面で成長物語(ビルドゥングス)が描写されているのか?という話題に斬り込んでいけます。そこで漸く前述した

という内容が出てくるのです。それではここからの本題にて説明していきます。

後藤、ギターヒーロー辞めるってよ(仮)

主人公・後藤ひとりのゴールはアイデンティティの確立!

なので、前述した逃避や承認欲求を満たすことがさくっとできてしまう「ギターヒーロー」という概念は、ぼっちの自己形成において大変おじゃまな障壁というわけです。

そんなわけで本記事では成長物語を「結束バンドの後藤ひとり」は「ギターヒーロー」を越えられるのか?と仮定した上で、「ギターヒーロー」という単語がどういった場面で用いられているのか、作中のセリフから立ち返っていくことにします。

始まり

まずは虹夏のこのセリフから

この言葉によって、ぼっちは「ギターヒーロー」は現実の自分に置き換えることができない、誇大妄想だったという事実と向き合うことになります。

ギターヒーローのスペック

  • 超凄腕のギタリスト:本当(※自分以外一人も他者がいない状況下に限る)
  • 学校中の人気者:嘘
  • ロインの友達数は1000人越え:嘘
  • 彼氏はバスケ部のエース:嘘

ギターヒーロー」とは承認欲求を満たしたいぼっちのぼっちによるぼっちのためのただの偶像。作中の表現を借りるなら"キラキラ"とは対極の存在だったのです。

そして虹夏の質問に対して、ぼっちは次のように答えています。

  • 「いっ今の私なんてまだ全然ヒーローなんかじゃないし… 」

ネット上では人気の「ギターヒーロー」が現実では虚飾(無価値)であることを認識したぼっち

ここから結束バンド」のヒーローになることが自身の夢となり、同時に「ギターヒーロー」の脱却を目指していきます。

以降、「ギターヒーロー」・「結束バンド」という二律背反のキーワードに傾注しながら物語の描写に切り込んでいきます。

敵は誰なのか?

ここでは結束バンドの障壁、ぶりっこメルヘン年齢鯖読みライターぽいずんやみが現れる。

ですが、未確認ライオット編においての障壁は実はぽいずんやみではありません。

なぜならぽいずんやみは「ギターヒーロー」の信者であり、要するにこれはぼっちが引き起こした問題だからです。

通常のぼっちであれば自身が招いた重責によって奇行に走りそうな場面ですが、120点の解答をもって、結束バンド解散の危機を乗り越えてみせます。

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  • 「結束バンドで… グランプリ獲りましょう!」

この表情最高にすき ぼっちの内面的な成長を強く認識できる場面。

というのもこれまで結束バンドが窮地に陥る場面は演奏シーンでした。

また、オーディションと文化祭は演奏の途中でぼっちが覚醒することにより難を逃れますが、いずれも「ぼっちが勇気を出したおかげで危機的状況を打破した」というにはやや「持っていた技量のおかげでなんかやっちゃいました」感が否めません。特に文化祭では+喜多の勇気づけという明確なトリガーもありますし。

しかしながら、2巻ラストのこの場面において「ギターヒーロー」の恩恵は何一つ利用されていません。

その上でぼっちが受動的な行動ではなく自力で辿り着いた答えであることも相まって、非常に洗練された描写となっているのです。

その後、「結束バンド」と「結束バンドの後藤ひとり」という存在価値を演奏で証明することで「ギターヒーロー」に傾倒していたぽいずんやみを納得させます。

  • ギターヒーローさんの居場所は結束バンドじゃなきゃダメだって」 (4巻 未確認ライオット公演後)

というわけでぽいずんやみが障壁だったのではなく、それは「ギターヒーロー」…つまりぼっち自身だったのでした。

この一件は1巻の路上ライブでの廣井のあのセリフを思い出させてくれますね。

  • 「敵を見誤るなよ?」

このセリフ、『ぼざろ』の成長物語の面を読んでいく上では今後も大切な言葉となっていきそうです。

グルーミーグッドバイ

グルーミーグッドバイ」は結束バンドにとって完全アウェイな箱で初披露した楽曲です。

この演奏シーンで「ギターヒーロー」という単語は出てきませんが、ぼっちの成長物語(脱・ギターヒーロー)の過程がしっかりと描写されているので見ていきましょう。

演奏では虹夏とリョウは緊張からペースが速くなりますが、そんな二人の様子を見たぼっちの心情はこの一言で表現されています。

  • 「けど!これでいい!」 (3巻 池袋ブッキングライブ)

虹夏とリョウのペースに自分が合わせていく。これは1巻の初演奏でぼっちが二人に支えてもらったことを今度は自分が二人に対して行っているという対比表現です。

つまり卓越したギターテクを持つ「ギターヒーロー後藤ひとり」が目立つ凸凹したバンドから、メンバー全員が主役のバンドに変わる「結束バンド」の明確なターニングポイントがこの演奏なのです。

そしてそんな中で演奏された楽曲「グルーミーグッドバイ」、これまでと同様にぼっちが作詞などを担当(3巻 MV作成回参照)しているので

グルーミー(=塞ぎ込んだ状況→ギターヒーロー)から決別する、という曲名だと解釈できます。

だとするとぼっちのこの楽曲・演奏に対しての熱量は半端なものではなく、演奏中のこの表情も印象的です。

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ここで表情にフォーカスした理由を説明しますと

初めてのライブシーン。「ぼっちちゃんの懸命な姿を見ていただくために、敢えて擬音を入れませんでした」とのこと。(作者様のインタビューより抜粋)

結束バンドの初ライブシーンではこういった裏打ちがあることが作者様から言及されています。

ぼっちと結束バンドの成長が数ページ・数十のコマに凝縮されたブッキングライブ。これをアニメでどのように補完し表現するのか、今から楽しみで仕方ないです。

途中経過

  • 「でも… 結束バンドは全員の力で売れたい! 」(4巻 レーベル契約編)

レーベル会社のマネジメントである司馬さんに「ギターヒーロー」の知名度を活用したいと迫られるが、「ギターヒーロー」には縋らず斥ける姿勢を見せようとするぼっち。

「ネットでの居場所がなくなる!」や「my new gear...」の頃に比べると本当に成長したなと思います。

  • 「まだ結束バンドの後藤ひとりとギターヒーローは同等の実力じゃないですし 信じてもらえないと思いますよ」

ぽいずんやみがすかさずフォローを入れてくれましたが、同時に「結束バンドの後藤ひとり」は「ギターヒーロー」未満であるとばっさり断言されます。

  • ギターヒーローじゃなくて結束バンドの私を見て ギターを始めてくれたんだ…」 (5巻 新入りバイト登場)

少し飛んで5巻。ここはぼっちの心情がさらっと出てくるだけですが、割と重要な場面。

ぼっちと同じ高校の後輩にあたる大山猫々は自分の姿に憧れてバンドを始めたことを打ち明けます。

つまりは「結束バンドとしての後藤ひとりが他者を動かすような影響を与えていたことが判明する場面なので、実はここでも成長物語が描かれていたのです。

しかし悲しきかな、5巻では「ギターヒーロー」のアカウントで動画を投稿する場面も存在するので、ぼっちアイデンティティを確立するにはまだまだ時間がかかりそうです。

謎ワード

作中の"キラキラ"という言葉に見覚えがありますか。

ぼざろ』におけるこの言葉はただのオノマトペではありません。

ギターヒーロー」や「結束バンド」が本作のキーワードであることは前段で説明した通りですが、それらと同等かそれ以上に重要な意味と役割を帯びているからです。

しかし、この言葉はそれ単体で見た時には常に曖昧で抽象的なので、何を指しているかわからない以上はオノマトペに成り下がってしまいます。 

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というわけで"キラキラ"が使用されているセリフを振り返りながら、これからこの概念を具体化していきたいと思います。

手がかり

"キラキラ"は1巻から使われていますが、その端緒となるのは5巻の伊地知姉妹の過去編です。そこから遡及して以前のエピソードを読んでいく必要がありますので、過去編の情報を整理しながら"キラキラ"に触れていくとしましょう。

・家庭を放り出して好きなことに没頭する星歌。姉が大好きな虹夏にとって、自分が姉に構ってくれる時間を奪うバンド(=夢)は嫉妬の対象であり、夢は身近にいる人間を不幸にする概念だと捉えていました。そんな虹夏に母は「夢を一生懸命追いかけてるお姉ちゃんはすごく素敵」だと伝えます。

また、直後にそのセリフを次のように言い換えています。

  • 「でも凄くキラキラしてる星歌をみて嬉しくもあるんだ」

ここで"キラキラ"とは一生懸命夢を追いかけてる人を指す言葉であることがわかります。

虹夏は母に諭されますが、そんなことよりも母がなぜ姉を止めてはくれないのだろうか、という疑問と不満が膨らんでいく一方。

ここまではバンドも夢も嫌悪の対象のままでしたが、姉のライブを観たことで考えが一変します。

1巻の回想としてこの場面を振り返る虹夏のセリフでもこの言葉が使用されています。

  • 「あの頃の私は全部がキラキラして見えて凄く幸せな空間だったんだ」 (1巻 オーディション後)

キラキラして見えて凄く幸せな空間だったことがわかるシーンは言わずもがなこの場面。

  • 「夢はね どんな辛いときも道を照らしてくれる光になるんだよ」

というアフォリズム的なセリフと共に、虹夏は"キラキラ"した姉のようなバンドマンになりたいという夢を持ったことが明らかになります。

つまり"キラキラ"は他者に夢を与える存在も意味として内包していることがわかります。

また、"キラキラ"という単語は2巻のこの場面でも使用されています。

  • 「あっあの…お姉さん凄くキラキラしてました」 (2巻 SICK HACKのライブ直後)

廣井のそんな姿を見て「ステージにいる間は演者はヒーローになる」、そんな印象を持ったぼっち。"キラキラ"した人間はつまり「ヒーロー」であるということです。

ぼっち・ざ・ろっくのゴール

5巻までをまとめると、常に夢を追いかけ、時に他者に夢を与えるヒーローが"キラキラ"した人という解釈できます。前段でギターヒーロー」は"キラキラ"した人とは対極の存在と書きましたが、それもそのはず。前者の行動目標は「承認欲求を満たす」ことで、逆に後者の行動目標は「他者貢献」だからです。(双方の意味とその違いは前段を参照。)

つまり、ぼっちのゴールは他者から見て"キラキラ"した人になることなのです。

また、本作で登場するバンドマンは十人十色の夢を持っていますが、ぼっち以外も全員共通して"キラキラ"を目指します。結束バンドのメンバーの持つ夢は1巻の虹夏のセリフの通りです。

  • 虹夏:姉の分まで人気のあるバンドになって、姉のライブハウスをもっと有名にすること
  • リョウ:今度こそこのバンドで自分たちの音楽をやること
  • 喜多:皆で何かをすることに憧れている

そしてそんなメンバーたちの想いを背負っているのが我らが主人公

  • ぼっちギタリストととして皆の大切な結束バンドを最高のバンドにすること

それが「結束バンドの後藤ひとり」の目指すロック「ぼっちざろっく」であり、彼女にとっての"キラキラ"の在り方なのでした。

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1巻ラストでも同じ流れ星の描写。

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ぼっちもいつか輝きを放つ、"キラキラ"な存在になれたらいいね。

(なんとなくアニメ1期最終話の楽曲に因んで「星座になれたらいいね」とでも記載しようと思っていましたが、あの歌詞あまりにも作品全体の正鵠を射ていて、急に恐れ多くなって止めた。それだけでなく歌詞2番「彗星みたい 流れる『ひとりごと』→後藤ひとり」といったユーモアも秀逸。作ったヒグチアイ氏は『ぼざろ』のリアルファン1号さんか2号さん)


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妹への想い(余談)

ついでに本記事で星歌の誤解も解こうと思います。

・伊地知星歌と後藤ふたり

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左:2巻 番外編 ・右:5巻 過去編

髪を結ぶという行為に感慨を抱く星歌。しかしそういった私情は打ち明けないタイプなので、周りから変な勘違いをされてしまうのであった。

・伊地知星歌とぬいぐるみ

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左:1巻オーディション前・右:5巻 過去編

素直になれない性格のため妹にも普段からつんけんしていますが、その裏で何よりも妹のことを大事に思っている感情の発露(ぬいぐるみ=妹と見立てて寝ている)だと解釈。

逆にそういった背景などなくただ可愛いものが好きで、三十路でぬいぐるみ抱かないと寝れない人だったら色々と手遅れな人になってしまいます。仮に前者だとしても、シスコンの拗らせ方が半端ではないやべーやつに変わりないのですが。干支一周分離れた姉がぬいぐるみを抱いて寝ている姿を、初めて目撃してしまった時の虹夏はどんな心境だったのでしょうか。

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おわりに

ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「アフターダーク」を聴いてると歌詞の内容が勝手にぼっちと結束バンドに置換されるのは私だけでしょうか。十刃の霊圧が…消えた…?

またアフターダークはかの宮沢賢治の「よだかの星」をインスパイアした曲なので、これを一読した上で聴くとより『ぼざろ』の世界にどっぷり浸れたり耽れたり、人によってはそうでなかったりするかもしれません。


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そんなわけで、本記事はいかがでしたでしょうか。

ぼざろ』は伏線の仕込み方がとにかく巧妙で、セリフも描写も読み返すことによってキャラクターがより引き立つ構成となっているように感じます。

また日常系漫画のポップさやコミカルさをそのままに、一人だけコミュニケーションが下手くそなぼっちを主人公に置きつつ、陰キャあるあるを4コマギャグにする手法によって読み手が共感しやすく楽しめる構成になっています。

しかしそう思いきや、本作は彼女が成長を止めることを許しません。この点が日常系との分水嶺。まずネットと家庭に留まることを否認し、次にコミュ障に自らの力で社会にコミュニティを築いていくことを要求し、そしてそこに自分の存在価値を見出すことを目標としています。

それらを成長物語の軸としているため、日常系漫画的な面白さとは全く異なった、読み応えのような面白さも持ち合わせています。本当に素敵な漫画です。

そんな偉大な本作品の魅力の一つ、作者様曰く「ストーリー漫画的な成長物語」の側面を、この記事を一読していただいた皆様に伝えられたのなら嬉しい限りです。

陰キャなら『ぼざろ』を読め!